執着できるものに、出会えていますか?
僕は日頃はフロントエンドからサーバーサイド、インフラまでを手がけているフルスタックのエンジニアです。要は、ITに関して言えば、自分が頭の中で描いたものをある程度かたちにできるスキルがあります。だからこそ常に、人々の課題やニーズに目を凝らしてきました。技術のための技術ではなく、それをどう人のために使うか。それを考えることが、僕にとって自然な営みでした。
でも振り返ってみれば、そんな活動の中で何よりも「幸せ」に貢献できたと心から感じられたのは、やはり今行っているこの提供活動でした。
僕は今まで、47都道府県を巡り、さらに海外も20カ国近く旅してきました。旅というのは、世界の多様性と、人間の根本に触れるような体験を与えてくれます。だからこそ、年齢の割に見てきたもの、感じてきたことは多い方だと思います。少なくとも「知っているつもり」にはなっていました。
けれど、昨年ある女性と出会って、その感覚が一変しました。
彼女は僕の倍以上の国を旅し、その深みと広がりを纏っていました。そして世界中を巡り、やりたいことを叶え続けてきた彼女は、どうしても生き甲斐となる子どもを授かりたいとのことでした。
彼女との何気ない会話のなかで、「何が楽しいですか?」「逆に、これから何をしたいですか?」と問われて、ふと答えられなくなった自分がいました。
もちろん、人によって価値観は異なります。興味があるものは誰かにとっては音楽かもしれないし、スポーツかもしれないし、料理かもしれません。でも、その瞬間に僕は、こう思いました。
——自分が心から執着できるものって、この世に存在しているのだろうか。
ニーズを満たすソリューションが見つからないのではなくて、そもそもニーズ、魂ごとぶつけたくなるほど“執着できる対象”がこの世に存在しないのではないか——そう感じました。
ただ、そんな“執着できる対象”として一つだけ確信していることがあります。
それは「子ども」です。
今月、子どもを切望していた彼女のもとに、とても可愛らしい女の子が2826gで無事に生まれました。この子が生まれてきたことは、ただの「生命の誕生」ではありません。いくつもの選択や迷い、希望と祈りを経て、この世界に生を受けたかけがえのない存在です。

健康で、のびのびと自信をもって育ってほしい。そして願わくば、愛し、愛され、誰かに「執着される」人になってほしいです。その存在を替えのきかないものとして、大切にされる人間に育ってくれたらと思います。
そして、僕自身も——そういう存在であり続けたいと思っています。
「代わりはいくらでもいるから、君じゃなくてもいいよ」と言われるような生き方ではなく、「あなたじゃなきゃダメなんだ!」と言われるような在り方。
精子提供という営みも、突き詰めればそこに本質があると思っています。
単に「提供すること」「妊娠できること」が目的なのではなく、提供者としてその背景にある人生が魅力的であること。それが、この活動の最も尊い価値だと信じています。
思い返して、頭を掻きむしるほど執着できるものに、あなたは出会ったことがあるでしょうか?
もしまだ出会っていないなら、どうか出会ってほしいです。
その対象が音楽でも、スポーツでも、子どもでもいいです。何かに執着できるというのは、それだけで日々が輝きます。熱中し、想いを注ぎ、時に報われず、それでもまた求めてしまう——そんな存在に出会えることこそ、人生の歓びの一つだと思います。
僕も、そういう相手になれているだろうか。
ふと自分に問いかけます。
ただ与えるだけでなく、深く思い出され、時には忘れたくても忘れられない——そんな存在に。
だからこそ、僕の中ではこの提供活動において、一つの審査基準があります。
それは「この人は、もし僕がお断りしたら、どれだけ執着するだろうか。一生、思い悩むだろうか。」ということです。
もちろん、実際には誰も傷つけたくないし、大切に思っています。ただ、それでも僕が心動かされる瞬間というのは、そこにあります。
代替不可能な存在になれているか。
それは、技術ではなく、人間としての在り方にかかっています。
これからもまた、誰かにとっての「唯一」であれるように、僕は目の前の命と向き合っていこうと思います。