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未練が残るのは、自分が諦めたものだから

人は、手に入れられなかったすべてのものに未練を感じるわけではありません。
むしろ、ほとんどの夢や理想には時間とともに区切りをつけ、自然と忘れていく。

けれど、なぜかいつまでも心の奥で疼くものがある。
ふとした瞬間に思い出してしまうこと。
それが「未練」なのだと思います。

未練が残るのは、それが“自分が諦めたもの”だから。
手に入らなかったのではなく、「手に入れる可能性があったのに、自分で手放してしまったもの」だからです。

ハナから手が届かなかった夢に、未練は残らない

たとえば子どもの頃に描いた夢。

宇宙飛行士、プロサッカー選手、億万長者――

誰もが一度はそんな夢を語りますが、

大人になった今、それを叶えなかったことを深く悔やむ人はほとんどいません。

なぜならそれは、“本気でつかみに行った夢” ではなかったから。

届かないほど遠い夢には執着は生まれにくく、「現実的ではなかった」と納得し、心は静かに折り合いをつけることができます。

そのため、未練はいつも、「手を伸ばせば届いたかもしれない距離」に存在しています。

未練は、「もう少しで掴めた未来」に宿る

未練が強く生まれるのは、

あと一歩の勇気、あと一歩の努力、あと一歩の決断があれば届いたかもしれない未来。

もう少し頑張れば合格できたかもしれない試験。

もう少し踏み出していれば続けられた道。

もう少し勇気があれば告げられた想い。

そうした “自分の選択によって変わったかもしれない未来” に心は強く反応します。

なぜなら、それは現実のすぐ隣にあった可能性だからです。

「母になること」は、本来女性の誰もが持つ可能性

母になるという未来は、選ばれた存在が必死に努力して勝ち取る“特別な夢”ではありません。

それは、女性であれば誰もが生まれながらにして備えている“可能性”であり、努力や才能とは関係なく、本能的に願いが芽生えるごく自然な未来です。

だからこそ——女性は「母になること」を諦める時、他のどんな夢とも比べものにならないほど深く、強く、未練が残ります。

本来、誰にでも開かれているはずだった未来。

環境や医療や運命、さまざまな要因によってその扉が閉ざされる現実。

そして「本当なら、自分にもその未来はあったはず」という切実な感覚。

それは、努力でどうにかできる夢の挫折とは本質的に違う痛みです。

努力してもどうにも届かなかったことよりも、
自分で「もういい」と言い聞かせて手放したことの方が、ずっと心に残る。

それは、「自分の中に確かにあった可能性」を自分で閉じたから。

諦めるという行為の、深い痛み

「諦める」という言葉には、どこか静かな響きがあります。
けれど、その裏側には深い痛みがある。

本当は望んでいた。
けれど、叶える勇気や時間、状況が足りなかった。
そして、自分で自分に“終わり”を告げた。

つまり未練とは、「自分の可能性を、他人ではなく自分が閉じたとき」に生まれるもの。
だからこそ、人は他人の成功や失敗にはあまり心を動かさないのに、自分の“やめてしまったこと”には強く揺れるのです。

僕が精子提供に取り組む理由

僕が精子提供という活動を続けている背景にも、まさにこの想いがあります。

母になれる可能性は、どんな女性の中にも本来確かにあるもの。

そしてその可能性が、医療や環境によって閉ざされてしまいそうな時、

その重たい現実を覆す力になれたら——

そんな思いを胸に、今日まで活動を続けてきました。

努力でどうにかなる夢なら、本人が望むだけ挑めばいい。

けれど、母になるという未来だけは、本人の努力ではどうにもならない瞬間がある。

だからこそ、僕はこの比類なき力と実績で叶えたいと思います。

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