精子提供は「追い詰められた人の選択」ではない
「精子提供なんて、最後の手段でしょ?」
「普通じゃない。リテラシーの低い人が選ぶ手段なのではないか。」
そう思われる方は、きっと少なくないかと思います。
けれど、僕が実際に見てきた現実は、意外なことにまったくの真逆でした。
すでにあらゆるものを持っている女性たちが、静かにこの選択をしています。
実際依頼に来られる方々は、驚くほど“スペックが高い”人たちなのです。
経済的に余裕があり、健康や食生活への意識も高く、学歴やキャリアの面でも、社会の上位層に位置する方が大半を占めています。
僕の実体験で言えばWikipediaに載るほどのモデル、成功した起業家、女医、大地主、世界的な大企業勤め、資産家のご令嬢などなど。
むしろ、いわゆる「一般家庭」のほうが少数派です。
コロナワクチンを拒む人は低学歴、低所得者だと言われていたのと似てますね。(そのように煽動していた政治家や著名人自身が本当に打っていたとは思えませんが、、、)
つまり精子提供は、決して「追い詰められた人が選ぶ最後の手段」ではなく、むしろ「すでに多くを持っている人が、さらに確実性を求めて選ぶルート」になりつつあります。

日本の法制度は、出産する女性に厳しい
出産は、人生で最も大きな出来事の一つです。
それなのに、日本の制度は、女性にとって決して安心できるものとは言えません。
結婚すれば簡単に離婚できるわけではなく、離婚すれば、親権はどちらか一方に決めなければならない。
子どもが健常であれば奪い合いになり、そうでなければ責任の押し付け合いになる——
子どもと離れ離れになりたくがないゆえに離婚もできない。
実際に裁判に負けて親権を奪われた方が「元旦那に私の宝物を奪われた。生き甲斐を奪われた。」と僕の元へ依頼に来られます。
そうした現実を、彼女たちはよく知っています。
だからこそ、「最初からリスクをなくしたい」と考えるのです。

不妊治療の方がよほど不自然
自然界の視点で見れば、生物は本来、より健康で、より優秀で、より適応力のある遺伝子を次世代に残そうとします。
一方で、現代の不妊治療は、そうした自然界の流れに人為的に介入する行為とも言えます。
もちろん、不妊治療そのものを否定したいわけではありません。ただ、その在り方や、誰がどのような負担を背負っているのかについては、冷静に考える必要があるのではないでしょうか。
経済的に余裕のない方が、精神的にも追い詰められた状態で多額の費用をかけ、不妊治療というビジネスに搾取されている。
決して当人たちは不妊治療がしたかったわけでなく、不妊にならない身体でありたかったはずです。
むしろそうした予防医学に対して税金も投入すべきではないでしょうか。
医療利権のために不妊治療を推奨し、世間的にも安易にポジティブな言葉で「ステップアップ!」などと呼んでいる構図自体が、すでに歪んでいるのではないか。そう感じる場面も、少なくありません。
不妊治療が推奨され、精子提供が表立って広報されないのは、ひとえに前者はビジネスになって、後者はならないというのもあるかと。
そしてさらに追い討ちをかけるように、障害を持つ子もそういう家庭を中心に生まれてしまっていると感じます。(あるいはそもそも生まれてこないか)
翻って、芸能人や著名人を見ていると、高齢出産もなんのその。
食生活や生活習慣そのものが違い、自然妊娠・自然出産を重ねているケースが圧倒的に多い。
これは偶然ではなく、「リテラシーが高く、健康に投資できる結果」なのだと思います。

子どもの立場で考えたときも、結果的に精子提供の方が有利に働いている
子どもにとって、親同士の争いほど不安なものはありません。怒鳴り声、冷たい空気、どちらの味方をすればいいのか分からない感覚。精子提供の場合、基本的に親の不仲や争いを前提にしなくていいです。
育児で最も大切なのは、完璧な家庭像ではなく、親の心の安定です。
誰かに振り回されない。
我慢を重ねて疲弊していない。
自分の選択に納得している。
そうした親のもとで育つ子どもは、感情の起伏に巻き込まれずに、安心して甘えることができます。

出産は「やり直しがきかない」
出産は、人生において「絶対に失敗できない」出来事です。
だからこそ、リスクを限りなくゼロに近づけたい。
何百名、何千名といる精子提供者の中で、依頼がある方というのは、やはり実績に裏打ちされた健康面でもスペックの高い人です。
高学歴、高収入といった社会的要素の期待値だけでなく、高身長、傷の治りが異常に早い、顔のパーツが綺麗にシンメトリー、肌が綺麗(母方にアトピーやアレルギーがあっても克服して生まれてくる) などという遺伝子レベルで明らかに「強い子」として生まれてくることができます。
従って再生産においても、あらゆる面でまた『勝てるサイクル』に入ることができる。
感情論ではなく、合理的に考えた結果として、精子提供という選択肢にたどり着く人が増えているのだと、僕は感じています。
生まれてくる子どもの立場で考えても、健康で、安定した環境が用意されていることは、何よりありがたいことであり、
だからこそ、「親として確実なルートを選ぶ」という判断に至るのは、自然な流れなのかもしれません。
もしもこの選択肢が広く知られたとき、社会がどう反応するのか。
ただ一つ言えるのは、精子提供という行為がもはや特殊な事例ではなく、多様性が認められた現代社会の価値観を映し出している、ということです。