奇跡と呼べる確率と、信念のリトマス紙
お久しぶりです。
この場を借りて、まずは近況の成果についてご報告させていただきます。
直近では6回、提供を行い、なんとそのうち5回で妊娠が確認されました。
確率論的に見ても、これは尋常ではない結果だと考えております。生物学的な限界がある中で、これほどの結果が出ることは、後にも先にもない奇跡的な数字だと受け止めています。
僕はもともと冷静な数字主義者ですので、もし他人がこの数字を提示していたら、間違いなく嘘かヤラセを疑っていたと思います。それほどに出来すぎた話です。
昨年の秋頃からオファーが殺到していた中、正直なところプレッシャーも感じていました。そんな中で、数の多さに圧倒されそうになりながらも、ひとつひとつ成果が出ることに、むしろ励まされていた感覚がありました。
僕は神を信じるタイプではありませんが、今回ばかりは「神がかった力」としか思えないような、不思議な流れが働いていたと感じています。

このような成果に繋がった理由のひとつが、お互いに「信念」を持った者同士が惹かれあったからだと感じております。
多くのオファーを頂く中で、「どうしても子どもを授かりたい」という確固たる信念をお持ちの方に限り、慎重にお相手を選ばせていただきました。
今振り返れば、“ワクチン非接種”という選択もまた、信念を持って生きているかどうかを浮き彫りにする、いわばリトマス紙のような存在だったように感じています。
「非接種=反社会的」と決めつけられる風潮の中で、多くの方が「自分の信念」ではなく「世間体」や「周りの空気」に従って選択をしていたように見受けられました。

現代では自分の頭で考えることなく、世間の流れや空気感に身を任せ、あたかも「自分で選択したつもり」になっている人も少なくありません。「周囲の評価」に依存して自尊心を保っている方々の生きづらさを、これまでに何度も見てきました。
同調圧力に屈し、自分を押し殺しながら周囲に合わせて生きる。そうした方々は、心の中に大きなフラストレーションを抱えることになりがちです。そして、常識を破り、自分の信念に従って動いている人を目の当たりにすると、強い違和感や反発心を覚えるようです。
「あんなのはずるい!」
「それはおかしい!間違っている!」
そういった声を、的外れかつ非合理的な形でぶつけてくるのです。
本当は、ただ自由に生きている他人が羨ましいだけなのかもしれません。

特に、今回のワクチン薬害におけるメディアや医療関係者の姿勢は象徴的でした。
上層部の方針や世間の風潮に盲目的に従い、長いものに巻かれた結果、状況が変わっても、自身の判断や行動に対して一切の訂正や謝罪をすることなく、静かにフェードアウトしていく。
過去に発信していた内容も、しれっと削除されており、まるで「なかったこと」にしようとしているかのようです。
しかし、周囲の人たちはそういった姿勢を見ています。
誰が、どんな価値観で、どんな選択をし、どのように責任を取ってきたのか——その姿勢こそが今後問われていくのだと思います。
これからの時代、外見上のステータスや肩書きはますます意味を持たなくなっていくでしょう。
問われるのは、自分の信念に従って動けるかどうか。そして、その選択の結果に対して、自分で責任を取る覚悟があるかどうかです。

今回の成果は、たしかに奇跡だったかもしれません。しかし、それが起きた背景には、自分なりの選択と行動、そして信念があったことは確かです。
だからこそ、ここに静かに記録として残しておきたいと思います。
「感謝を忘れると、感謝を忘れないようにさせる出来事が起こる」——それが、この世の常であり、道理であると感じています。
信念を持ち、誇り高くご依頼くださった皆さまからのオファーに対し、ひとまずは全力でお応えし終えることができました。
しばらくは自分の時間を大切にしつつ、この成果に深く感謝したいと思います。