学問と現実のあいだで——僕が「行動」にしか価値を置かない理由
ジェンダー学の博士課程を取得している友人がいます。
彼女は海外の大学院に渡り、理論を学び、言葉を磨き、社会構造を語る。
その努力や知性を否定するつもりはありません。
むしろ、覚悟と根気がなければ辿り着けない場所だということは、僕なりに理解しているつもりです。
けれど、正直に言うなら、彼女の語る言葉から「リアル」を感じることはほとんどありません。
「〜と言われている」「〜と考えられている」
会話の大半は、「〜らしい」で埋め尽くされ、そうした間接話法で構成されています。
それは確かに“正しい”のかもしれません。けれど、そこには血の通った実体や実感がない。
現実で何が起き、誰がどう変わり、何が残ったのか。その核心が、いつも抜け落ちています。
ふと、ある言葉を思い出しました。
「俺から言わせりゃよ。お前から学ぶことなんて何にもねえ!
だってお前の言ってることは、全部教科書に書いてあるんだからな」
ドラマ『GTO』の一節だ。
乱暴な言い回しではあるが、本質を突いていると僕は思います。
知識や理論だけでは世界は1ミリも動きません。

僕が選んだのは、語ることより「やること」
僕は学者ではありません。論文も書きません。
けれど、現実の中で「行動」し、結果を出す生き方を選んできました。
2025年、僕が関わった中で複数のご家庭が新しい命を授かり、そのうち8名の方が無事に出産されました。
いずれも心身ともに健康な状態で、現在も穏やかな日常を送られています。
誤解してほしくないのは、決してこれは営業した成果ではないということです。
むしろ逆で、オファーはその何倍もありました。
それでも、条件や状況、覚悟が整っていないと判断したものについては、すべて断ってきた。
断り、断り、断り続けた上で残ったのが、この8件です。
過半数の方が初回のご提供で妊娠されたので、数を追えば、もっと増やすこともできたはずです。
けれど僕は、数字よりも「信念」や関わる全ての方の「その後の人生」を優先しました。
理論は、結果が出て初めて意味を持つ
ジェンダー論も、倫理も、理想も、語ること自体は簡単だ。
難しいのは、それを現実で成立させることです。
・実際に誰かの人生を変えられるのか
・誰かの不安を減らせるのか
そこまで含めて初めて、「価値がある」と僕は思っています。
だからこそ、机上の空論には興味がない。
どれだけ美しい言葉でも、現実で誰も救えていないのなら、それはただの自己満足だ。

僕はこれからも、結果で語る
学位も肩書きもそれなりにあったので、僕もまた「そちら側」に立つこともできたかもしれません。
けれど、行動して、結果を出し、その先に実在する人の人生を変えることにこそ価値があると考えています。
誰かを論破するためでも、思想を広めるためでもない。
これからもただ、目の前の現実に対して、誠実に手を動かし、足を動かし続けていきます。