命が生み出す連鎖する幸せ
他人の人生を根本から変える行為。特に「命を授ける」という行いは、人間ができる 最高レベルの“利他行為” だと捉えています。
そこに「見返り」を求める気持ちはありません。けれども、心からの誠実さと責任を持ってその行為に関わったとき、感謝された分だけ “味方” が増えていく世界が広がっていきます。
自分が助けた存在に、いつしか自分が守られる日が来る。
これまでもそうだったし、これからもきっとそうなのだろうと、僕は信じています。
人が困難に直面したときに差し伸べられる手は、単なる「運」ではなく「ご縁」が引き寄せたものです。
良いことも悪いことも必ず返ってくる。因果応報の法則ほど絶対的なものはないと、起業してからますます強く思うようになりました。
- 思いがけない人との出会い
- 自分や家族に訪れるギフトのような出来事
- 仕事や夢に広がる大きなチャンス
それらはすべて、今積み重ねている“徳”の延長線上にあるのです。

「子どもがいない人生」は不完全なのか
かつて僕は「子どもがいない人生は一部が欠けている」といった考えに、否定感を抱いていました。どこか価値観を押し付けているような気がしてならなかったのです。
しかし実際に命を授けることを経験すると、答えは「そうです」としか言いようがありませんでした。
子どもがいない状況において、なかなか人は過去を精算することができず、未来にも希望を持てず、今が充実しません。
ママ友、義理の親族、孫など、人生において往々にして子どもが、これから出会う人々など新たな幸せを広げていってくれるのです。
これは確かに 「連鎖する幸せ」 を生み出している証だと実感しています。
「希望そのもの」として生まれてくる命
健康で、五体満足な子どもが生まれたとき、僕はそれを「希望そのもの」だと感じています。
その子は生まれた瞬間から、周囲に計り知れない喜びを与えている。
そして、そんな存在を手放したいと思う人はいません。
だからこそ、命を授けるという行為には深い意味と価値があるのだと改めて確信します。

提供者として求められるのは「精子の質」以上に「人間としての総合値」
精子や卵子といった妊活に関わるデータそのものは、もちろん命の根源として重要です。
しかし本当に選ばれているのは “人間としての総合値” だと思います。
- 誠実に関わる姿勢
- 与えた命に対する責任感
- 相手や家族を思いやる心
こうした要素こそが、人と人との信頼をつなぎ、未来を形づくるのです。
人生の価値は「何を得たか」よりも「何を与えたか」で決まるのかもしれません。
気づきで終わるのではなく、行動に変える。
その結果として生まれるのは、数値では測れない 「連鎖する幸せ」 です。
僕はこれからも、その連鎖の一部を担える人間でありたいと願っています。